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大沢監督の思い出といえば、何といってもキャッチャーだった大宮さんを突然外野で起用したことです。

ぼくが後楽園球場にいた1984年。
ファイターズの捕手陣は打撃が魅力の大宮龍男さんと、リードがさえる田村藤夫さんの2人がレギュラーを争っていました。
そして外野は、DHのトミー・クルーズさん、左翼の岡持さん、中堅の島田誠さんまではほぼ固定。
右翼だけは二村さん、木村孝さん、嶋田信敏さんらで競いながらも、なかなか固定できないといった状態でした。

ぼくがファイターズベンチについていたある日の試合。
キャッチャーは田村さん、ライトは二村さんです。
試合中にいきなりベンチの奥を振り返った大沢監督、大宮さんに、
「おいタツ(大宮さん)、おめぇライト守れるか?」
大宮さん 「えっ?で、できると思いますけど」

大沢監督 「二村ちょっと元気ねぇからよ、次の回からライト行けや」



あわてて控えの外野のかたにグローブを借りてライトを守った大宮さん。
最初のフライを処理したときは、スタンドの応援団も大喝采でした。
それからしばらくは捕手・田村さん、右翼・大宮さんの配置が続いたのですが、それにしても豪快な采配。
ふつうは、あらかじめ打診して、まず試合前に充分練習させて起用~なのだと思いますが。
さすが「親分」と呼ばれたかたです。

われわれスタッフにもいつもお声をかけていただき、ありがとうございました。
あらためてご冥福をお祈り申し上げます。

元日ハム監督の大沢啓二氏死去 「親分」の愛称で慕われる
日本ハムなどで監督を務めた大沢啓二(本名昭)氏が7日午前、胆のうがんで死去した。78歳。立大から56年に南海に入団。59年には外野手として日本一に輝いた。76年から日ハムの指揮を執り、81年にリーグ優勝を果たした。面倒見がよく“親分”の愛称で選手から慕われた。日曜朝のTV番組で「ご意見番」を務めプレーなどに“喝”を入れて人気を集めた。最近は体調を崩していた。タレントの大沢あかねさんは孫。

by yukihiroxx | 2010-10-08 20:59 | 野球のこと
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