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ホワイトバンドについて〜ほっとけない批判と誤解〜

 <ホワイトバンド>趣旨説明不足で購入者から批判へのトラックバックです。
あわせてホワイトバンド公式ブログにもトラックバックさせていただきます(10/26追記)


 いま僕の腕にも巻かれているホワイトバンドについて、売上が直接募金にならないことについて批判が広がっているという。
 ・・・って、おいおい最初っからそう言ってたじゃん!

ほっとけない 世界のまずしさ

 あらためてホワイトバンドのHPを見てみたけど、目的は寄付を募ることでなく「貧困をなくす政策をみんなで選択する」ことだって、ちゃんと書いてあるし、僕もそれに賛同してホワイトバンドを身につけた。批判は、それがわかりにくいっていうことなのだろうけど、自分の300円が何に使われるかよく理解しようともせず、ただ「良いことをした気分になるため」に身につけていたとしたら、そんな人たちの姿勢こそ問題なんじゃないか?
 
 僕はこれまで「チャリティ」というものについて、とても懐疑的だった。いまお腹をすかせている子にパンを与えても、お腹をすかせてる原因を解決しないと、明日も明後日もパンを与えなくちゃいけないことになるよね。だからその原因をほったらかしにして、いくらかの物やお金を援助して良いことをした顔をするのがすごく嫌だった。でもホワイトバンドのキャンペーンの、その“根本の原因”に働きかけようとする主旨にすごく感動して、一も二もなくバンドを身につけたわけさ。

 そういえばこんな話も聞いたことがある。
 阪神大震災復興の初期、毎日ちゃんと休憩をとり8時間働くと帰ってしまう(職業としての)土木作業員のかたを白い目でみながら、ボランティアと称する人たちが昼夜を問わずしゃにむに働いていた。でもプロの作業員の人たちのほうも、それを困った顔で見ていたそうなんだ。
 やがて日を重ねるに連れて、ボランティアの人たちは力尽きあるいは体を壊して、ひとり減りふたり減り。結果、ちゃんと体力や作業量の配分を考えて働いていたプロのかたのほうが、遥かに効率的にたくさんの復旧作業をこなしたということ。

 モチはモチ屋というわけじゃないけど、貧困の救済も、もう個人が体力の限界までがんばってもどうにもならないんだと思う。
 ホワイトバンドのHPにもあるように、20年前のライブエイドはアフリカ救済を訴え、280億円の募金を集めて寄付をした。でも、のちに280億円という金額はアフリカが先進諸国に返済している債務額のたった一週間分だと知って、主催者は愕然としたそうだ。この「極端な貧困」は、ポケットの300円を届けることじゃなくて、根本的な構造そのものを変えなくちゃいけない。根本的な構造を変えるには、目下のところ政策で変えるしかないということなんだろうね。

 そして“ボランティア”という言葉も、本来は「自発的に」というだけの意味であって、決して「報酬を得ずに」とか「無償で」ということではないはずなんだ。
 同じように、この300円をアフリカへ届ける、難民のために無報酬で働く〜そんなことをくり返しているうちにその人自身が疲弊してしまうとしたら、ちゃんと生活の糧を確保しながら、毎日の仕事をしっかりやることで、目の前にいる誰かを幸せにすることのほうが皆の幸せに繋がるって、そんなふうに思うな。(このへん微妙にブリザードミュージックby 成井豊さん〜これで「演劇のこと」になったかな?)


ほっとけない 世界のまずしさ


 以前、劇作家の鴻上尚史さんがこんなことを言っていた。
「演劇は涙を流す根本の原因に対しては無力だ。でも涙をぬぐうハンカチにはなれる」
 もちろん根本の原因が一朝一夕に解決するわけじゃない。それまでに必要な“ハンカチ”もぜったいにある。
 だから、ぼくもぼくなりのやりかたでハンカチを差し出しつつ、“根本の原因”について戦っているひとたちを応援したいと思うんだ。
by yukihiroxx | 2005-10-25 01:03 | 演劇のこと(鑑賞作品)
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