昨夜の林家正蔵師匠の落語会がなぜ残念な内容だったかあらためて考えてみた。

やはり「ぼんぼん唄」を楽しめなかったことにつきるのだけど、いったんその話はおいといて。

気になるのは正蔵師匠の覇気というか元気のなさ。
素人がこんなことを言うのはおこがましいのだけど、のってるときの「話しているのが楽しくてしかたがない」といった空気が終始感じられなかったなぁ。

で、それを裏付けるような、時間の短さも。
枕もそこそこにすぐ一席目に入り、この会ではおなじみの、エンディングで太鼓を止めてのおしゃべりもほんの少しだけ。
入口には上演時間7:00~8:45と書いてあるのに、師匠の三席と二つ目さんの一席をあわせて8:15にはもう終わってしまいました。

何かお身体の不調か、あるいは心配事でもあるのではないかと気になってしまうほどです。



噺のほうは「もぐら泥」「王子の狐」「ぼんぼん唄」のネタおろし三席。
「ぼんぼん唄」の迷子が持っているお守りが「白キツネ」だったりと、すこしずつ内容をリンクさせるような工夫もされていました。

「ぼんぼん唄」は志ん生師匠がかけられていたそうで、さいきんはめったに聴かない噺。
東京地図出版「江戸落語の舞台を歩く」のもとになったホームページ、「落語の舞台を歩く」などであらすじが確認できます。

これによると「おひろ」の育ての親は背負いの小間物屋、生みの親は材木屋になっているのですが、昨日の噺では「おしろ」の育ての親を「仕立て屋」生みの親を「呉服屋」にしています。
皆で一緒に暮らそうというハッピーエンドを「呉服屋に仕立て屋はつきもの」というサゲでまとめるのですが、その直前、呉服屋が仕立て屋をかかえようとするセリフで「呉服屋にはいい仕立て屋が必要」と言わせてしまっているので、単なる繰り返しになってしまってサゲの弱さは歴然。
時間の短さとあいまって「え~っ、これで終わりなのぉ!?」と思ってしまったのが、満足できなかった最大の理由かなぁ。

最近、正蔵師匠は「伊予吉幽霊」「ハンカチ」など新作にも意欲的にとりくんでいらっしゃいますが、「伊予吉~」でもオリジナルは船の事故で亡くなった主人公を、騙された女を追いかけて溺れるといった改作をされているそうです。
「伊予吉~」や今回の「ぼんぼん唄」の改作がどういう意図なのかははかりかねますが、やはり創作されたかたのお気持ちを考えると、よほど斬新かつ説得力のある新解釈があるのでなければ、原作のオリジナリティは尊重すべきなのでは、と思ってしまいます。
正蔵師匠ならではの作品というものにも、改編ではなく仕草や演技、語り口で絶対に育てていけるものだと思うし。

そのうえで、ほかの噺家さんは演じない「正蔵師匠だけの作品」を持とうということであれば、よい作家さんを見つけて完全オリジナルの創作落語にもとりくんでほしいと思います。
私事ですが、最近創作落語を書き下ろしていただく仕事で複数の作家さんとおつき合いをさせていただきました。もの書きのかたというのは、本当に“一字一句”その言葉その表現を使う意味を考えて言葉を並べていきますし、それを話す落語家さんのキャラクターも思い描いて書いてくれます。
そんな素敵な出会いが、多くの落語家さんにあったらよいのになぁと思っています。

最後に。
昨日の落語会とは直接関係ないのですが、正蔵師匠でいちばん好きな噺「ハンカチ」について。
寄席でよくかける小品なのですが「夫婦げんかをして散歩にでた夫が、友人に頼まれてしかたなく出場した『妻への愛をさけぶコンテスト』で本音を言って優勝したら、奥さんがそれを見ていて涙」という心温まる作品です。
落語で泣ける話というのは、トリネタなどには多いし、こちらも「さあ感動するぞ」と構えてしまうところがあります。また「座を冷ましてしまう」ということで、なかなか寄席の途中には演じづらいということもあるそうです。

でもこれはほのぼのとした噺なので、寄席の途中でポンと出てくることがあり、初めて伺ったときなどは構えていないぶんカウンターパンチで、ボロボロ泣いてしまいました。ずるいよなぁ(笑)
それ以来大好きな作品で、いまでは冒頭の、奥さんがご主人に「ねぇ、起きてよ」というだけでウルウルしてしまいます。すっかりパブロフの犬です。
そんなわけで、皆さんも正蔵師匠の高座で奥さんがご主人を起こしはじめたら、できるだけ構えずに観てください。きっとやられるから。
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by yukihiroxx | 2011-09-10 11:30 | 演劇のこと(鑑賞作品) | Comments(0)
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