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アドリブについて考える

三谷幸喜さんの古いエッセイをなんとなく読み返していて「おお!」という文章を見つけました。伊東四朗さんの稽古姿勢についての文章です。
以下、引用します。

台詞の間をよくアドリブで繋がれるが、役の理解が正確なので、出てくる言葉も的確。稽古を見ながら、本来は僕が書かねばならない台詞なのに、と笑いながらもちょっと悔しかったりする。

そう!そうなのです。芝居におけるアドリブとは、本来こうあるべきものなのですよっ。



その昔、劇団☆新感線でも「本番のアドリブは一切禁止。そのかわり稽古ではやり放題で、それが本番ネタに昇格されることも」なんて話を聞いたことがあります。

役を理解しきった役者が、その役が吐くべき台詞を“稽古場で”吐く。
採用されることも、却下されることもあり。
結果、作家・演出家とともに役を、芝居を完成させていく。
これが本来の姿なのですよね。

これとは逆に、ありがちなアドリブ。
本番で、稽古でやっていないことをやる。
役ではなく“素”を見せて笑いをとる。
これはやっぱり、どれだけウケたにしても、作家にも演出家にも、何より「作品」に対して失礼なことだと思うなぁ。

ぼくが制作を担当する公演でも、いろいろな演出家のかたがいて、アドリブや稽古についても、いろいろな考えをお持ちになっています。
もちろん演出の意図として、本番アドリブの意外性や瞬発力に期待することもあります。

だけど、お金を払って観にきてくれるお客様へ最良のステージをお届けすること。初日から最終日まで、何ステージあったとしても、そのすべてをベストな公演にすることが、送り手の責任であるはず。

そう考えたとき、完璧なまでの役の理解、これ以上ないっていうほどのネタ出し、要するに、充分な充分な稽古を重ね、作家・演出家・役者すべてのコンセンサスを経て板にかけられた演技っていうのが、やっぱりあるべき姿だなぁと思うのです。
by yukihiroxx | 2007-02-17 01:50 | 演劇のこと(参加作品) | Comments(0)
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